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風紋や残響のみの雪ケ原
高野事務所のご利用者Mさんの俳句が、昨年末に引き続き、京都新聞文芸欄に再び掲載されました。Mさんの作句への強い思いが伝わって参ります。
風紋や残響のみの雪ケ原
「風紋」と聞けば、多くの方はあの鳥取砂丘の砂の模様を思い浮かべられるでしょう。今回のMさんの俳句では「雪の風紋」を題材にされています。
今年は珍しく京都でも大雪が降って、公共交通機関にも障害が出て、電車の中に長い時間閉じ込められた方も身近でおられました。そんな方には雪が恨めしくもあったことでしょうが、一方で純白の雪の情景は、私たちを「もののあはれ」の世界にも誘ってくれます。私たちにとって「自然」はどこまでも脅威であり、また大いなる慰めでもあります。
さて今回のMさんの俳句の情景を思い浮かべてみましょう。人影もない冬の山里の朝、窓を開けると、辺り一面は昨夜降り続いた雪のベールに覆われています。寒風が立ち、地上の粉雪が舞い上がると、そこに雪の風紋が現れます。朝の光が差してきて風紋を照らし、影を作り、そこにまた風が方向を変えて流れてきて、風紋は千変万化します。それはまるで万華鏡の世界。荒涼とした世界の中で風の音だけがこだましています。
雪で思い起こすのは、ずっとずっと昔の小学校の教科書に掲載されていた「田中冬二」という詩人の「雪の日」という作品です。昭和初期の雪の風景がそこにあります。今回もMさんの俳句を楽しませていただき、ありがとうございました。
前回までの作品をご覧になりたい方は↓をクリックして下さい。
https://www.kyoto-fukushi.org/office/news/10590/
「雪の日」
雪が しんしんと 降っている
町の魚屋に 赤い魚 青い魚が美しい
町は 人通りも すくなく
鶏もなかない 犬も吠えない
暗いので 電燈を ともしている郵便局に
電信機の 音だけがする
雪が しんしんと 降っている
雪の日は いつのまにか
どこからともなく 暮れる
こんな日 山の 獣や 鳥たちは
どうしているだろう
あの やさしくて 臆病な鹿は
どうしているだろうか
鹿は あたたかい 春の日ざしと
若草を 慕っている
いのししは こんな日の夜には
雪の深い山奥から 雪の少い里近くまで
餌をさがしに 出て来るかも知れない
お寺の 柱に 大きな穴をあけた 啄木鳥は
どうしているだろう
みんな 寒いだろう
すっかり暮れたのに
雪が しんしんと 降っている
夕餉の仕度の 汁の匂ひがする