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流木に座り合唱海は初夏
高野訪問介護ステーションのご利用者Mさんの俳句紹介シリーズ第23回目です。今月のはじめに22回目をアップしたばかりですが、今回も引き続き京都新聞の俳壇に入選されました。誠におめでとうございます。
流木に座り合唱海は初夏
目の前に広がる穏やかな海、初夏のやわらかな光がその青をより一層引き立てます。旅人たちは、背中の荷物を砂浜にそっと下ろし、海に向かって両手を大きく広げて深い呼吸をひとつ、ふたつ。そんな情景を鮮やかに切り取ったリズムカルで歯切れのよい句ですね。そして旅人たちは、どこからともなく漂流してきた流木に腰を降ろして、誰からともなく、空と海の間に向かって、あの歌この歌を口ずさみ始めたのでしょう。多分それは「海は広いな大きいな~♪」でしょうね。いやいや、やはり「あした浜辺をさまよえば~♬」かも知れません。それとも流木を見て「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実~♫」ですかね。頬をつたう潮風と押し寄せるさざ波の音が、それらの歌の伴奏のように心地よく響き、旅人も自然の息吹の中で大いなる慰めと生きている喜びを感じたに違いありません。
さて、季節は初夏を一気に通り過ぎて、灼熱に近い真夏が到来しました。
海はあらゆる命の源であることからか、私たちは海に心のゆりかごを求め、時に安息を得たくもなります。そして夏になるとその思いはいっそう強くなるように思います。この句からはすこし離れてしまいますが、あの夭折した劇作家で詩人の寺山修司の詩を思い出しました。
「かなしくなったときは」
かなしくなったときは 海を見にゆく
古本屋のかえりにも 海を見にゆく
あなたが病気なら 海を見にゆく
こころ貧しい朝も 海を見にゆく
ああ 海よ 大きな肩とひろい胸よ
どんなつらい朝も どんなむごい夜も
いつかは終る
人生はいつかは終わるが
海だけは終らないのだ
かなしくなったときは 海を見にゆく
一人ぼっちの夜も 海を見にゆく
Mさんの句が呼び起こす、初夏の海の情景と歌声は、寺山修司が描いたような海の無限の包容力と繋がっているかのようです。今回も、心に響く一句をありがとうございました。
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