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秋蝶や五百羅漢の淡き影
2022/12/05
スマイルBlog
ふたたび高野事務所ご利用者Mさんの俳句のご紹介です。今回も京都新聞文芸欄に掲載されました。
秋蝶や五百羅漢の淡き影
そこここに深まりゆく愁いの秋が訪れています。そんな季節にぴったりの俳句ですね。 蝶と言えば晩春から初夏にかけて野の花々を飛び回っていますが、一部は立秋を過ぎても、林の中やこの句にあるように石像の上にとまって羽を休ませている姿を目にします。 秋の陽の光は次第に弱くなっていきますから、五百羅漢像の影の濃淡もはっきりとしなくなっていたのでしょう。 「淡き影」という終わりの5音が、秋の愁いをしみじみと感じさせてくれます。
そして石像の上にとまった蝶、秋の光がその蝶の羽を鮮やか色に照らしてくれますが、その蝶のこれから先の行方を思うと、さらに切なく悲哀感が漂ってきます。
この句を目にしたときに、ふと記憶の底から浮かび上がってきたのは、中国の戦国時代の思想家荘子の「胡蝶の夢」の説話です。荘子が蝶になった夢を見て、目覚めたのち、自分が夢の中で蝶に変身したのか、蝶が自分になったのかと荘子は考えこんでしまいます。 このことから「胡蝶の夢」は、夢と現実の区別や違いがはっきりとつかなくなってしまうこと、万物はすべて等しい存在で移り行くもの、また人生は淡くて消えやすく、はかないものだということの意味で使われているようです。
Mさん、今回も情感あふれる俳句をありがとうございました。
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