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語るほど似た者同士かりんの実
ようやくあの酷暑の夏が遠のいて、そこここに秋の気配が漂い始めました。それでも残暑が長く続き、今年は彼岸花も金木犀の開花も一月ほど遅れたようです。そんな季節の移ろいをお馴染み高野事務所のMさんが俳句に詠まれ、9月・10月と京都新聞文芸欄に掲載されましたのでご紹介させていただきます。10月の俳句は入選作として採用です。おめでとうございます!
石庭の色なき風や影淡し(9月)
「色なき風」が秋の季語であることは、初めて知りました。それは、古代中国で生まれた自然哲学思想の陰陽五行説で、秋風の色を白・無色透明とされることに由来があるそうです。春や夏の色彩豊かな景色が、淡いセピア色に変化していく愁いの秋風の形容としては、ぴったりかもしれません。そして、禅寺の極限までに虚飾を排した石庭の前に座り、物思いに耽るには今の季節が一番良いと思われます。秋風が白であることから思い浮かべるのは、詩人の北原白秋でしょうか。白秋のリズムカルな秋の詩を口ずさんでみましょう。
風
一
遠きものまず揺れて、つぎつぎに、目に揺れて、揺れ来るもの、風なりと思う間もなし、我いよよ揺られ始めぬ。
二
風吹けば風吹くがまま、我はただ揺られ揺られつ。揺られつつ、その風をまた、わがうしろ遥かにおくる。
三
吹く風に揺れそよぐもの、目に満ちて、翔る鳥、ただ一羽、弧は描けど、揺れ揺れて、まだ、空の中。
四
吹く風の道に、驚きやまぬものあり、光り、また、暗みて、おりふし強く、急に強く、光り、また、暗む、すべて秋、今は秋。
五
輝けど、そは遠し。尾花吹く風。
語るほど似た者同士かりんの実(10月)
「事実は小説より奇なり」と言いますが、人と人との出会いは、数々の不思議な「縁(えにし)」の集合体のようなものです。とある処で出会った者同士が、たわいもない話からそれぞれが歩んできた人生の物語まで語り合い、気づいてみれば共鳴しあっている二人になっていて「友を得たり」ということだったのでしょうか。続く下五が「かりんの実」で結ばれており、なんともほのぼのとした俳句になっています。「かりんの実」は、リンゴやミカンと違って一つひとつが均一のとれたものではなく、大きさも違い、形もしなやかで柔らかく多様なフォルムをしています。それはまるで人間の様々な顔のようでもあります。実の表面に「へのへのもへじ」を書いてみると何とも愉快になってきませんか。
Mさん、今回もめぐる季節の俳句をありがとうございました。
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