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無花果や身体の奥にある記憶
2018年からスタートした高野事務所のご利用者Mさんの俳句のご紹介も、今回で20回を超えてきました。最近も紹介が追いつかないほど、 ほぼ毎月、京都新聞文芸欄に掲載されています。Mさんの俳句への強い愛着が感じられます。
無花果や身体の奥にある記憶
無花果と言えば、昔は普通に民家の庭先に植えられていて、秋になり果実が熟れてくると、もぎ取っては食べていた記憶があります。 実の先からは粘っこい白い樹液が出てきて、中身は鮮やかな紅色の果肉(小さな花の集まり)、筆者が子どもの時には、何か妖しい果物という イメージがありました。また調べてみると、遡ること紀元前、旧約聖書のアダムとイブの逸話にも登場するほど長い歴史をもつ果物で、 世界中で愛されているようです。
さて、古い記憶が何かをきっかけとして蘇ってくることがたまにあります。そのきっかけとして一番に上げられるのは「匂い」でしょうか。 ある特定の匂いが、それに関連する記憶を浮かび上がらせることは、よくありますね。
Mさんの作品では、無花果の香り、特有の甘みや食感が、その人の思い出のるつぼからずっと昔の懐かしい情景やその時の甘美な、 もしかすると痛みに近い気持ちを呼び起こしたという表現をされています。
そこで連想するのは、高村光太郎「智恵子抄」の中にあるあの一節です。
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
心身ともに深く病み、死の淵にある智恵子の口にレモンのしずくが広がった瞬間に、智恵子の身体の奥から最後の命の記憶が 蘇ったのでしょう。今更ですが17音の俳句の世界は、懐深いですね。Mさん、今回もありがございました。
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